「O脚」ってどう思います?

カラダのホントの話し

016一声です。

 

 

「O脚」ってどう思います?

 

 

ボクは

「どうでもいいがな」

と考えてます。

 

決して投げやりな感覚じゃなく

本当に

O脚であろうがなかろうが

 

持って生まれた脚の形がそれなら

カラダはバランスが取れてて正常なんで

違和感を覚えないからです。

 

いくら脚の形がまっすぐでも

カラダのバランスが崩れてると

違和感を覚えるし・・・

 

僕は「バランス」が取れてたら

違和感を覚えなくて

それがキレイで良いって思っちゃうんです。

 

 

 

こういうのは

整体師的感覚・視点なんでしょうか?

一般的な感覚とはチョット違うかな?

 

一般的にO脚は

「良くない!」と思われてますからね。

 

「いったい何が良くないねん!」って

私は言いたいんですが・・・。

 

 

わたしがいくらそう思ってても

よろしくは無いようで

O脚の矯正してもらえますか?って

依頼があります。

 

正直あまり気乗りしません。

 

 

それは先に話したような視点で

人の体を捉えてるからだし

 

O脚矯正の筋道って

自然な状態を一時的に手放して

手に入れるモノだというのを知ってるからです。

 

健康というのを再優先した時には

オススメ出来ないんです。

 

 

整体の施術だけでなく

当人の努力も要ります。

大変です。

 

「そこまでせんでも、気持よく生きれてたらそれでエエやないか」

 

自分がツラくてしんどいのがキライなんで

そう思ってしまうんです。

 

 

 

でもこれは

私がO脚で悩んでいないからです。

 

当事者じゃないから

本人の気持ちがわからない。

 

 

 

「見た目」ってホンマに大切で

それで悩んでる人の気持は

当人にしかわからない。

 

 

O脚ということで

自信を持てないでいるとしたら

生きているのが辛くなってしまう。

 

そんな時に

「健康だからいいじゃないですか」ってのは

通じない。

 

なので

ちゃんとカラダに起こる変化をお伝えして

 

自宅でエクササイズを

きっちりこなして貰う約束もしてくれる

熱意ある人にO脚の矯正はするようにしています。

 

生半可な気持ちだと

結果が出る前にやめちゃう人もいるので。

(途中でやめるくらいなら、初めからやらないほうがよっぽどマシです。)

 

どんな場面でもそうですが

自分の欠点(だと思ってる所)を努力で

変えていくというのは尊い行為です。

 

僕も出来るだけ

「自分の価値観」

という枠に囚われないよう

 

クライアントの努力をサポートできるような

整体師でありたいと考えています。

 

 

 

中学時代の作文「あなたの整体師象より」(大ウソ)

issei

issei

「変態・爽やか・クソ親父」三拍子揃った整体師の一声(いっせい) 1971年3月大阪生まれ 2021年で整体歴は25年目 大阪府堺市西区「整体いっせい」院長

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