なぜファンキーな心の声に耳を傾けるのか? その1

どうでもいい話し

283iPhone一つで初めての土地に行っても

道を迷うこと無く目的地に辿り着ける

いい時代になりました。

 

大きくて、かさばる地図帳を片手に

目的地探してウロウロ・・・

 

いまじゃ

こんな事はなくなりましたね。
子供の頃はどこかに移動する時

ヘタすると目的地の住所くらいしか

知らなくて

 

迷っても先方の電話番号もわからないし

わかってても携帯がないから

すぐに聞くことも出来ず・・・

 

電柱や家の壁に貼られてる

「◯◯丁△△番地」のプレートを

頼りに目的地まで目指してたんですよね。

 

これで住所が間違ってたら

それこそお手上げで・・・

 

まぁ懐かしい話です。

 

 

実際、道に迷うことも

よくあって

 

そんな時は近くにいる人に

「スイマセン。☓☓はどこでしょう?」って。

聞きながら向かったものです。

 

そんなオッサン会話の一声です。

 

 

 

ふと思いだしたんですが

道に迷った時

声掛けした相手って

 

「話しやすそう」で「地元の人っぽい人」

を反射的に見つけて聞いてように思います。

 

 

怖がりで人見知りもそこそこある人間なんで

だれかれ構わず声かけた・・・ってことは

してませんでした。

 

優しい人を探したのは

「優しく丁寧に教えてもらいたかったから」で

 

地元民っぽい人を探したのは

 

せっかく聞いて

「いやぁー、この辺の者やないからよくわからへんねん。」

って無駄な事態を避けたかったわけだし

 

最悪のケースは

知ったかぶりでウソでも教えらたら

さらに道に迷う可能性もあるわけで

 

そういう事態を回避したかったんですね。(無意識ですけど)

 

こんな感じで

「迷った時に誰に聞くか?」って

けっこう大事なポイントやと思うんです。

 

 

自分が知らないから・・・ということで

誰彼かまわず道を尋ねるなんてことは

多くの場合まずしません。ですよね?

 

 

これ、健康面でも同じこと言えるよなぁー

ってのが今日の話です。

 

 

 

調子良く生きたいなら

「体の声を聞きなさい」とか

「心の声に耳を傾けなさい」とか

言われてるわけですが

 

この言葉に一言モノ申し上げたい!

 

「信じたらエライ目に合うよー」って。

 

 

この言葉が間違ってる!って

言いたいんじゃないんです。

 

僕の好きな言葉なんですが

「ちょっと言葉足らずやなぁ」と

思ってるんです。

 

なにが足りてないのか?

 

ズバリ!

「あなたの体は耳を傾けるに値する状態なの?」

を問いたい。

 

 

 

僕はお酒が好きです。

 

たびたび飲み過ぎては二日酔いになったり

道で寝てしまって財布を無くしたりすることが

ありました。

 

次の日は大後悔です・・・。

 

 

これが心の声に耳を傾けた結果です。

 

一度も

「もうオマエ、やめとけって!えらい目に合うぞ!」

なんて聞こえた事がない!(笑)

 

飲むのをやめさせるどころか

「まだいける!まだ飲みたい!オレは酔って無い。意識はちゃんとしてるぞ!」

そんな心の声ばかりが聞こえてて

 

それに従った挙句

電車賃すら無くして

徒歩で10何キロも歩いて帰る羽目になるわけです。

 

 

こういうのは形が違えどよくある話や無いですか。

 

誰も「エライ目に逢おう!」と思って

何か事を起こしてる人っていないはずなんです。

 

 

 

病気になる人、調子を崩してる人って

大抵「ああ。いまこれ食べたいなぁ」とか

「これやりたいなぁー」って

 

欲望という名の心の声に耳を傾けた

結果がほとんど。

 

欲望というのも立派な心の声だし

確かに「カラダが求めること」を

してあげてるんです。

 

しかし望んでない結果にたどり着いてしまった。

 

 

 

コレ

「変な人に道聞いてしまった」のと

同じことしてるな。と見えるんです。

 

 

「目的地に着く」というのが

イチバンの目標なら

ちゃんとした人に聞かないと

おかしな事になります。

 

ただ「楽しく迷ってたいねん」っていうなら

面白そうでファンキーな人に声かけて。もアリで

 

間違った道教えてもらって

それ信じて

目的地に辿りつけなくても

「ま、いっかぁー。楽しいし。ヘヘヘ」

ってやってればいいんですが

 

そんな人でも本当に

ずっと目的地に辿りつけないのって

楽しいんかいな?

それでいいの?

なんて思うんですね。

 

 

そもそも

「目的地に着かなくても良い」とか

「ファンキーな人に答えを聞きたい」って

思ってる時点で

 

思考が「相当ヤバイ」と思うわけです。

 

こうなるともう

「心の声もアテにならない・・・。じゃあ一体何を信じたら良いのか?」

そんな状況になります。

 

その為に・・・

 

続きを書こうと思ったんですが

長くなったんでもう寝る時間です。

 

また明日。良かったら読んでみて下さい。

 

おやすみなさい。

 

issei

issei

「変態・爽やか・クソ親父」三拍子揃った整体師の一声(いっせい) 1971年3月大阪生まれ 2021年で整体歴は25年目 大阪府堺市西区「整体いっせい」院長

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