心と体を癒やす話し「結局いい方向へ向かってんだなぁ」

呼吸力が上がれば全てOK!
快息整体の一声です。

心と体
意識と肉体

人間を構成している要素です。

この両方がちゃんとリンクしてるんで
死ぬまで「上手く生きていける」ように
出来ています。

「心と体は密接に関係してるんだよ」

ってのは昔から言われていることで
特に変わった話じゃないんだけど

心が病んでくると体まで病んでくるし、
体の調子が悪くなると
心の状態を健全に保つのは難しくなる。

そんな話ですよね。

死ぬまで良い方向に向かって過ごしたい。
そう願ってるのは僕だけやないと思う。

心と体

その両方が生涯健やかな状態で
いられれば全ていい方向に向かうんですが

そこで重要な働きをするのが
「痛み」なんです。
痛みは心や体を良い方向に
導くためにすごく大切。

体の状態を保つためには
「痛み」という
不快な感覚は欠かせない。
不快な状況に追いやられると
人間はそこからどうにかしようと
必死になる。

そこに「良い方向」への
道が拡がっていきます。

食べ物に気をつけるようになったり
生活の仕方に気をつけるようになったり
体の使い方に気をつけるようになったり

色んなことに気をつけだして
より理にかなった事を
自然とするようになります。

意識の方はどうなのか?

意識も
良い方向へ向かう基本的な仕組みは
同じようなものです。
意識の方も
「辛い」「苦しい」「嫌だ」とか
要は「心の痛み」ですね・・・

それを避けたいような状況から
「良い方向への道」が
始まっていきます。

体の痛みと同じで
心の痛みも感じることによってはじめて
より良い方向に導かれるようになっています。

ただ気をつけないといけないのは

症状だけを和らげたいが為に
最も安易な方法を
人間は選びやすい。という事実。

体の方も意識の方も

痛みを避けるためだけに
対処療法だけで終わらせる傾向が
あるって所です。

これは豊かになればなるほど
その傾向が強くなります。

例えば体の方だと

体の使い方が悪くて痛みが出ているのに
痛み止めだけ飲んで、痛み抑えて終了!
みたいなもんです。

これでは
良い方向にいく前に
体が壊れてしまいます。

意識の方はどうか?

自分の心が痛くなった責任を
「自分以外の何か」に転嫁してるのが
それにあたります。
自分の心が痛くなった
意識が辛くなった・・・っていうのは
自分の中で起こっている現象。

痛みを感じさせているのは
自分の中にある「何か」なんだ。
ということにまず気付かないといけない。

誰かが念を送ったりして
あなたの心を乗っ取って
あなたの心に痛みを感じさせてる
わけじゃないですから。

なので
自分の中でそれをちゃんと感じて

その心の痛みや辛さを引き起こしている
きっかけとなった自分の中にある部分を
ハッキリさせていかないと
対処できないようになっています。
お酒の好きな人が、飲み過ぎで体を壊した時
お酒を止めるか、それともそのまま飲んで
体を壊していくか?という選択に迫られます。

生きるためとはいえ
好きなことを止める・・・これは辛い。

でも選ばないといけない。
現実と向き合わないといけない・・・時がある。

意識の問題、心の問題も同じような所があって

その原因を探る時
自分の核心の部分に触れるんで
すごく「キツイと感じる」場合が多々あります。

でもそこに触れていかないと
(※他人に触れてもらうんじゃないんです。
自分で触れていくだけなんやけどね。)
始まらないんです。

「痛み」自体は本当に嫌なことです。
出来ることなら味わいたくない。
でもそれがあるから
「治せる」タイミングがやって来る。
という事実があります。

この時に
一番効果的に治せるタイミング
というのもあって

それは
「痛みを感じている時」なんです。
このタイミングを逃すと

痛みに慣れて麻痺してしまって
症状が慢性化し

良くなるまで
すっごく時間が掛かるようになります。

痛みがひどい時って
人生というスケールで見れば
良い方向に向かえるチャンスです。

症状のキツイ時、辛い時に
なかなかそうは思えないけど

これが
「本当の癒やし」のチャンスなんです。

そうやって
人間のこと見ていくと
全て無駄がないなぁ
全て良い方向へ向かうように
良い仕組みがあるんやなぁ
ってつくづく思います。

issei

issei

「変態・爽やか・クソ親父」三拍子揃った整体師の一声(いっせい) 1971年3月大阪生まれ 2021年で整体歴は25年目 大阪府堺市西区「整体いっせい」院長

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